情報社会の中で有効的な部下教育をするためには
2021/03/19
前回の本欄で、上司の教える力はもとより、
部下の教えられる力の双方があってこそ、教育効果が期待できるとお話しました。
ところが残念なことに、
部下の教えられる力(教えを乞う力)が次第に下がって来ています。
IT時代を迎え、あらゆる情報はウェブ検索で簡単に入手することができ、
技術的なことであれ、客先の情報であれ、その気になれば
いくらでも入手することができるようになりました。
なにも上司の説明を聞くまでもなく、情報的には既に公開されている内容なのです。
社内LANには組織情報や顧客情報が常にアップデートされています。
こうした情報環境のなかでは、あえて教わらなくても自分で学ぶことができます。
従って先輩や上司に対して、積極的にわからないことを教えてもらう必要性は僅かなのです。
上司と部下は単なる社内的な役職の違いであり、師匠と弟子とは違います。
部下は経験がなくとも自立した関係でありたいと望んでいます。
上司からの精神的拘束を、なにより嫌うからです。
知識を超えると見識が出る
先日、NHKの放送大学を見ていたら、
認知心理学を教える某大学の教授は、
最初から最後まで自分の講義メモを読み上げていました。
興味がてらに、他の科目を見てみると同じで、
予定された情報(科目)を
一定の時間枠の中でいかに効率的に視聴者に伝達するかなのです。
数学に至っては、ある問題の解法を定め、
解答まで導くために延々と黒板に数式を書き出していくのが番組の進め方でした。
果たしてどれだけの学生がこうした授業に最後までついていけるのか疑問ですが、
その目的が大学卒業資格を取得することや、
趣味としての教養を身につけるという意味では、
それなりの積極的な姿勢が学生側にあることも事実です。
放送大学だけではなく、実際の大学での授業風景を見ると、
いまだに、数年前の講義メモをそのまま読み上げている教授がいると聞きます。
「教育とは知識を使って、知識を超えた領域に踏み込む」
この知識を超えた部分が学生の情動を刺激し、自力学習に自ら火をつけるのです。
単に一方的な知識(この場合は理論)の伝達では
真の教育にはなりませんし効果もあがりません。
欽ちゃんはスゴイ!
欽ちゃんこと萩本欽一氏( 79)は2015年から2019年5月まで、
駒沢大学で仏教を一から学んでいました。
彼曰く
「教授が雑談してくれているときが、
一番自分としてはためになるので、
しっかりノートをとる」
と話していました。
彼は教授の雑談の中にこそ、自分が学ぶヒントが隠されていると看破しているのです。
なぜなら学問体系を知り尽くした教授が、
その知識を土台に語る雑談にこそ、
その知識の価値が秘められているからです。
学生の時や社会人になって資格試験に挑戦するときは、
一定期間内に一定量の知識を入力する必要がありますが、
その成果も試験という2次元表記による出力となるので
整理されたテキストを繰り返し学習すると、
それなりの結果を出すことができます。
但しこれは、
どんなに退屈な内容であったとしても、
学ぶ側がその範囲を一旦覚え込まないと、
当初の目的が達成できないという学びの必然性(動機)があってのこと。
この手法を、部下教育に使ってもペーパーテストと違い実践では殆ど役に立ちません。
何もやらないよりかはいい、という程度です。
脳は徹底した省エネ志向
以上のように部下教育に一方的な知識伝達では、なかなか臨場感は出せません。
これは「経験に基づいた知識」が教える方と教えられる方双方に必要とされるからなのです。
では教えられる側にも、なぜ「経験に基づいた知識」が必要とされるのでしょうか?
脳の特性として、人は知っていることは既に分かっていると思い込み、
それ以上学ぼうとはしません。
また、知らないことは、
聞いても分からないので興味を示さない、という両側面があります。
この意味するところは、
人は、より新しいことを学ぶことを、本能的に嫌がる性質があるのです。
脳は本来、省エネ機能が強いので、食べる、寝る、(餌をとるために)動く以外は
エネルギーを温存したいのです。
この傾向は年を重ねるごとに強くなります。
従って、教える側は、部下が経験した下地を使いながら、
その延長線上に新しい知識を埋め込んでいきます。
これが部下の「経験に基づいた知識」が同時に必要な理由です。
このシーンはテレビで解説者が、
視聴者代表みたいなゲストに教えるときにも見受けられます。
視聴者代表が、
「ああ、なるほど、あの事と同じですね」
と反応した場合、
この「なるほど」が、理解し始めた瞬間の兆しです。
そうすると、相手に学びのための意欲が生まれます。
前述した自力学習に自ら火を付けるきっかけが生じたのです。
対機説法
日本古来の伝統仏教の教えに「対機説法」という教育手法があります。
これは相手の理解のレベルに合わせて教える内容や表現を臨機応変に変える説法です。
ではどこで相手の理解のレベルを見切るか、
それは相手の小さな反応を見逃さずに観察することで、
自動的に話す内容を変えていくのです。
ご高齢になられた瀬戸内寂聴氏(98)の法話がテレビで流されていましたが、
正に聴衆の反応によって突如、話題を変えていることが分かります。
但し、教える目的は変えていません。
難しい内容を中学生にでも分かるやさしい内容に噛み砕くことも自在にできています。