名選手は名監督にあらず
2021/03/19
現場教育の一環で部下にいろいろ教えているが、なかなか理解してくれず、
すぐ自己流になってしまい迅速で正確な結果につながらない。
同じことを何度も教えているが、さっぱり覚えてくれない。
どうも集中力が足りないためか、自立して業務ができるようになるまでの時間が読めない。
すこし、強く言うとすぐ感情的になる。
こういった教育上の上司の悩みは
「ゆとり世代」が世に出てきてからますます多くなっているようです。
わたしは前職の最後の6年間は人事総務の責任者として
基本的な人事理論、認知心理学、機能脳科学を学ぶ一方で、
自ら教壇に立ち、
年間100時間くらいは「新入社員研修」(2年間)
主任・課長昇進研修、成績が停滞している主に営業社員向けの「リバイバル研修」
車輛事故が後を絶たないことから「社内免許教習制度」
名著「不動産学」テキストを使った不動産研修
等々
あらゆる研修内容を立案し実際に社員に教えてきました。
この実績と現在の私の仕事の中心になっている「コーチング」の経験から、
部下教育の真のあり方と最新のコーチング理論を融合させた
「部下教育の先端技術」のテーマで、ご一緒に考えてみたいと思います。
川上監督と長嶋監督
先般、野村楽天名誉監督が語った話の中で、
元川上巨人軍監督と元長嶋監督の指導上の違いに触れて、こんな話をしていました。
曰く
「当時の川上監督は選手の指導にあたっては、技術的な話はコーチに任せ、
ご自分では野球人としてのあり方・考え方等
いわゆる川上哲学を説くことが中心であったように思う。
一方、長嶋監督はというと、話の中心はいつも技術論がほとんど、
身振り手振りで長嶋打法を熱く教えていたよ」
ということで、
私も確かにそうかも知れないと妙に野村監督の比較に納得しました。
ご承知のように
川上監督の選手時代は記録が示すように「打撃の神様」でした。
「球が止まって見える」「球を止められた」とかいう伝説的名言を残しています。
更に監督時代はプロ野球史上唯一の9年連続優勝を達成するなど
前人未到の記録を残しています。
長嶋監督はというと
いわゆる天才肌の名バッターとしてあらゆるチャンスを活かし、
その卓越したパフォーマンスで記録を塗り替え、
引退後も国民的英雄として今でも人気を博しています。
但し監督としての成績は、残念ながら遠く川上監督には及びませんでした。
この二人の監督時代の選手指導の違いを頭に入れたうえで次に行きます。
人は仕事が好きで熱心に業務に励んでいると
自然に得意になって行きます。
そうすると、
面白くなり、もっと研究熱心になり、
いくつか訪れるスランプも粘り強く克服し成果を出していきます。
世間はその技量に注目し、そして評価するようになります。
会社の中であれば、当然地位は上がり、少しずつ部下も増えてくるようになります。
そこで初めて部下を観察するとあまりにも自分と違うことに驚きます。
なぜもっと自分の仕事に興味をもたないのか、
なぜわからない事を素直に聞いてこないのか、
なぜもっと工夫しようとしないのだろうか。
自分のあまりにも当然だったことが、そうではないことにハタと気がつきます。
実はここに部下教育のヒントがあります。
野球界で言えば、川上監督という偉大な例外を除けば「名選手は名監督にあらず」なのです。
これは普通に考えると技量が高いひとだからこそ教えることができると信じて疑いません。
では、このときの有資格者の心理状態を見ると、いくつかの共通した特徴があります。
①私が簡単にできるのだから、他の人もコツさえ掴めば必ずや出来るようになるはず。
②出来るようになると、もっと面白くなり成績も上がるはずだ。
③私の思いは必ずや部下に伝わる、伝わらないのはまだまだ私の熱意が足りないからだ。
④とにかく私の言うとおりに努力してみてくれ、結果は必ずついてくるようになる。
この事が上司の心理であったとしたら、一方で部下の気持ちはどうでしょうか?
①あなたは私とは違う。あなたにできることが私にできるかどうかは分からない。
②あなたの言う方法は長年の経験で蓄積されたものだ。
わたしだって何年もかかるはずだ。それほど簡単ではない。
③わたしは残念ながら、この仕事にあまり興味がない。できれば変わりたい。
この思いが集中して聞くことができない理由だ。
④いつも「やる気があるのか」と最後に言われるが、この言葉を聞く度に逃げたくなってしまう。
⑤ああ、また始まったか。説教が。
教えられる力
この上司と部下の思いの違いは上司が名選手であればあるほど、如実に表れてきます。
昔の時代(昭和30年代以前頃)は、ある意味徒弟制度の延長みたいなところがありました。
徒弟制度とは師匠と弟子の関係です。
職業のバリエーションが少なく、多くの職業の中から自分で選択する自由がないので、
仕方なく「手に職を付ける」ことが食べていくために必要なことでした。
弟子は解雇されないためにも、必死になって師匠の技を盗むように覚え、
人知れず練習に練習を重ねて早く一人前の職人になることが夢でした。
当時の大手企業も似たようなもので、後輩は先輩を常に立てて、
特別に目をかけてもらうことが競争に勝つ第一歩だったのです。
(今も部活の活動はこの方法が主流のようですが)
お気づきのように、この時代は、
部下の能力いわゆる「教えられる力」が平均して高かったのです。
先輩からしっかり指導を受けるためには、
部下の教えられる力が低いと先輩をその気にさせることができず、
学びのための時間がかかることになります。
先輩には気持ちよく、たくさんの事を短期間に学んでしまいたいために
「教えられる力」が自然に鍛えられたのです。